女性らしく生きるってなんだろう。今日の懺悔。
これまで転職を何度か経験してきた私ですが、今働いている会社にとても尊敬している人がいます。その人は、私のお母さんくらいの方です。なんでそんなに尊敬しているのかというと、とても女性らしくて綺麗な人だから(見た目も中身も)。
友達とうぇいうぇいしていて、小柄なその人と比べたくましいわたし。見た目も中身も正反対なその人をなぜ尊敬しているのか・・・。思い返すと社会になかなか馴染めなくて、落ち込んだり悩んだりしている時にいつもよりそって話しを聞いてくれたのが、その人でした。
物腰が柔らかくて、やさしいその人が大好きで、ついつい仕事を邪魔してしまうくらい・・・笑。
これまで私は、「私はわたしやし!」私のことを好きになってくれる人だけ大切にすればええねんって思ってました。そうしてきたらいつのまにか本当に友達という友達がいなくなってました。他人は自分の鏡をいうけども、本当にそれやと。人からの評価って自分の行動の跳ね返りなんやなって思いました。
その人に出会ってからもう1年くらいたつのですが、本当に大好きです。本音は「なにこいつ本当に邪魔ばっかしよるおんなやな」とか思われているかもしれません。
だれからみても、嫌味がなくて物腰が柔らかく女性らしく、母の優しさが滲みでているその人をみると、意地貼ってたり素直じゃなかった自分がすごく恥ずかしく思えました。
女性らしさって人それぞれだと思います。私は、尊敬するその人のように優しくなりたいです。ひとの痛みに寄り添ってあげることができる女性でありたいです。
本当に自分自身が、自分勝手な人間だということはよくよく理解しています。素直じゃないしね。よく言いません上司とか「素直じゃないんだよな、お前。」とか。
そういうふうに言ってくる時点でわたしなら心を閉ざします。確かにそうかもしれないけど、なんでお前は俺の都合のいい人にならないんだよ。」っていうニュアンスに聞こえてしまいません?
わたしが尊敬する人の場合、その人のそばにいる暖かさを感じると自然に素直になれるんです。会社で泣いたのはその人の前だけです笑。
そもそも世の中って的が多すぎるんですよ。だいたい、話しかけてきたり、近づいてくるひとの大半は自分に利益のためなんですよ。利害が一致していない人なんかに近づきますか?誰しもが、否定はするけども心のかたすみに「こいつを利用したらええんちゃうん?」みたいな意識はありますって。
だから、私は自分からはあからさまに素直で〜すっていうキャラはやめようかなって思いました。いい子ぶるのはやめようかと。自然体でいれるようになろうと。
新聞記者をやめて、事務職に就きいろんな人と出会った結果、わたしはやっぱり女性らしく人生を歩みたいって思いました。